2012/01/21

再開しようかな

長らく放置を続けていた当ブログですが、

ぼちぼち再開したいと思います。

また中断するかもしれないけど、

それでもいいやというつもりで、

時々書いていけたらいいかな。

… … …

ブログ中断した頃から、

人とのつながりを求めなくなってきました。

誰かと話したい・やりとりしたいという気持ちがすっかりなくなってしまって。

たまに誰かからメールをもらっても、

返す言葉が何もでてこなくて辛いのです。

人に興味が持てなくなったようで、

「最近どうしてる?」と聞くことすら面倒くさい、聞きたくない、という状態。

こんな人間って、どうなんでしょう。

なんだか「うつ」というのとも違うような気がしてきました。

… … …

でも、

前は毎日ゆううつで希望がない、とかだったんですが、

希望は相変わらず無いけれど、

毎日はそれなりに楽しみがあります。

最近の趣味は食べること。

中でも、自分で作って食べること、がとても楽しいです。

なので、食事について時々書くと思います。

… … …

では、また。

2009/09/12

灰色の世界を表現してみたい

どこを向いてもマイナスの世界。
そんな気がしている。今。

8月末に北海道から帰ってきて以来、ウツっ気が強く出ていて困っている。
春からエネルギーを使い続けて、使い過ぎてしまったのか。エネルギーが枯渇してしまったのか。

… … …

「どこを向いてもマイナスだ」と、数日前に突然思った。
なんだかとてもそんな気がしてしまった。
理屈じゃなくて、その言葉が天から降ってきたかのように、そんな言葉が自分の中に生まれた。そして、ああ、そうだ、と妙に納得してしまった。
どういうことか?と考えたけれど、よくわからない。

ウツっ気が強いな、と思う時にはほとんどいつでも、
想いが・感情が・考えが、言葉に・文章にならない。「表現」にならない。
想いが・感情が・考えが、言葉に・文章に・表現になる前に、泡となってはじけてしまう。
もやもやとした何かが、胸の中に渦巻いているのに。
これは何だろう?と頭で考える。言葉にしたいのに。
逃げていく。捕まえられない。
「かたち」になる前に、消えてしまう。

そんなときに何とかして表したことばは、不十分だ。
表したいことを、伝えたいことを、表現できていない。
そうじゃない。足りない。違う。
違うことは判るのに、到達できない。当てはまる表現が見つからない。

… … …

「辛ささえ、楽しみたい。」以前そう思ったことがある。
今のようなとき、今の状態を何とかして言葉にして表現すると、
話を聞いている母はよく言う、「すごく面白い」。
そのとらえ方も面白いと思うし、自分でも同じように思う。
「健康」なときには思いもよらない思考を・感じ方をしている自分の、そんな感覚・思考が、面白いと思う。
今でも、「楽しむ」ことは、ある程度できていると思う。
でも、だからといって、救いにならない。どう過ごしていいかわからない。
何かをしても、虚しさが大きい。

だから、「もともと楽しさを感じない・得るものがほとんどない」ようなことに逃げたい。受動的なことに。単純作業に。
睡眠やネットサーフィンは、そういう事柄。私にとって。
楽な事柄。
…「楽」と書いたけれど、この表現にも違和感を感じる:
「楽=らく」って、本来は「楽」しくて苦労のないようなこと、なのかな?(辞書を見ると、「身も心も安らか」とか「簡単でやさしいこと、苦労しないこと」などと書いてある。)
「楽」なんかじゃない。でも「らく」としか表現が見つからない。そうだな、「他のことよりも辛くない」=「楽」ってところかな。
でも、高熱を出したりしたときに氷枕当てたりして、「ああ、らくになった!」って言うのとは、感覚が似ている。だから、表現としては「らく」で合っているといえば合っているんだろう。
ともあれ、睡眠やネットサーフィンのような事柄は、「らく」なことです。それらをすることは、何かをすることによって「返ってくるもの」何も期待していない分、自分が何も感じなくても・反応しなくても、辛くないから。そんな感じ。

… … …

そんなこんなで、
妙に虚しい・やることなすことがつまらない、という今の自分に困っているんだけど、
まぁそのうち…と、深く考えないことにして、
今の状態をも少しでも「楽しむ」ことができたらいいなと思いながら、
時間を過ごしているところです。

… … …

しかし、「認知療法」的な物の考え方って、
全然こころを「らく」にしないなぁ、
と思っているところ。
私がちゃんと認知療法を理解していないからなのかもしれないけれど、
「いろんな物の見方・考え方・とらえ方」をしたからといって、
悲しい・嬉しい・楽しいなどの「感情」をコントロールできるわけじゃない。
考え方は(考え方の側面によって)その姿を変えることができると思うけれど、
感情はどこから眺めたって姿が変わらないもの…自分の中で絶対的なものなように思う。
感情は、理屈じゃないんだよなぁ…と思ってしまうのです。

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2009/08/31

おめでとうフィジコ!

第12戦、ベルギーグランプリ。
予選で見事ポールポジション獲得、ジャンカルロ・フィジケラ。
決勝レース、堂々の2位フィニッシュ!

おめでとうフィジコー!!
感涙。

ポール・トゥ・ウィンを願っていたので、やっぱりちょっと残念です。
でも、スタートはうまく決めて1番手キープし、
その後キミ・ライコネンに抜かれたけれど、1秒差をずぅっと保ってのフィニッシュ。
惜しかった、でもすごい。
興奮しました。
疲れました。こんなに観戦で疲れたレースは初めてです。どきどき。

フォースインディアに初ポイントをもたらしたフィジコ。
この日を待っていました。
初ポイントのみならず初表彰台。
もうちょっとで初優勝でもあったかもしれない。
…優勝してほしかったなぁ、フィジコ。惜しかったなぁ。

  

さて。
1ヶ月ぶりの更新となりました。
この間、北海道に行って、帰ってきました。
フェリーに乗せて車を持って帰ったこともあり、かなり疲れて、ぐったりしてます。
それまですごく調子良かったけんですけどね(体調も、精神的にも)。
もう、ほんとに、へろへろで。足がちゃんと立たないくらい。
頭もあんまり回らなくなっちゃってます。

でも!
昨日の予選。
ちょっと眠くて&ちょっとしんどくて、寝転がって観戦していたんですが、
大きな「元気」をもらいました!
だってだって。
Q1でトップタイムを叩き出したフィジコ。
フォース・インディアに移ってからは自身初のQ3進出。
そしてポールポジションの獲得!
おかげで、おめめぱっちり、元気復活。
今日も…ね。うふふ。
うーん、これ以上は言葉がつむげません、出てこないや。

今日のビデオ(←まだVHS)は、大切に保存しておくつもり。

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2009/07/28

「心のがん」とはよく言ったもの

本日のクローズアップ現代(NHK)を見ました。

「がんとともに(2)“働き盛り”失業の不安」。

がんという病気になった方々の話だったのですが、
うつと、似ているなぁ…と思ってしまいました。
(↑こういう表現をするのは「よくない」ような気もしますが、感じたままに書きたいと思います。)
以前、「うつは“心の風邪”ではない、“心のがん”だ」という表現に出会ったことがあります。
今回この番組を見て、その表現…「うつは心のがん」とは言い得て妙だな、と改めて思いました。
とはいっても、
がんという病気そのものがうつと似ている、というのではなく(“死に至る病”という意味では似ていますが)、
 病気になったとき、
 克服しようと闘病するとき、
 病気を克服した後、
のことです。
社会(特に職場)の環境が、厳しいな…と思いました。

番組で紹介された具体例は、がんになった働き盛りの方々で。
ちゃんとは覚えていないのですが(汗)、
たとえば…

●治療のために長期休職。
会社に残りつつ長期休職したり、
(回復してもフルタイムは厳しいので)短縮勤務をしたり、
といった形で仕事を続けるには、正社員を捨てて準社員とならないといけない。

●治療に専念し、何年もかけて治した。
就職しようとしたら、治療中の期間を「空白の数年」とみられてしまい、採用されない。
意欲があり、能力もあるのに…。

なんだか、他人事と思えず、身につまされるというか…心底、辛くなりました。

私の(うつの)場合では、当時職場の理解とサポートを得られたので、その点は本当にありがたかったのですが、
それでも最終的には職場に戻ることができなくなり、いまだにその悲しみから自由になれずにいます。
また、今後就職活動するときに、(上記の後者の方のように)ブランクがあること(短めですが)が影響するのではないか、と、療養中もびくびくしていましたし、今でもびくびくしています。

自分がそういう立場になってからというもの、この手の話に出会うといつも思うことがあります。
 つまりは、病気になるなってことね、って。
でも、誰だって病気になりたくてなるわけじゃない。
一度「脱落」した人(悪い表現ですみません)に、ちゃんと、チャンスを与えてはもらえないでしょうか。

病気に限らず、子育てに関しても似たような話が多いのも、何とも情けなく嘆かわしいことですよね…。

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2009/07/16

神が感じられる絵~犬塚勉氏~

素晴らしい絵を見ました。

画家・犬塚勉氏をご存知ですか?

先日の日曜美術館(NHK教育)で初めて知りました。
 “ 私は自然になりたい 画家・犬塚勉 ”
という番組でした。
テレビの画面で見た絵だったのに、実物じゃないのに、ものすごく、涙が出そうに、素晴らしくて。
感動しました。

とても細密な、自然の絵。
写真と見紛うばかりの。

草。
木。
石。
岩。

どれも、実物以上に実物らしい。

でも、その魅力はそこ(実物らしさ)ではないと思います。

そこに在る「もの」ではなく、
いのちを、空気を…
神を、描いているのでは。
そう思わされる絵。

こんな絵を描く人がいるとは…。

絵を描くために、自分を研ぎ澄ました人だったようです。
食事や運動をはじめとする生活など、さまざまなことで、自分を厳しく律していたそうです。

絵を描くために、何度も何度も山に登り…
…あるとき、遭難し、38歳の若さで亡くなったとのこと。
存命であれば、今、どのような作品を描かれたことでしょう。

犬塚氏は、ご自身が心打たれた「自然の素晴らしさ」を、どうにかして表現したかったのでは?と思いました。
…「自然の素晴らしさ」なんていうこんな言葉じゃ足りないくらいでしょう、きっと。
やはりそこ(自然)には「神」が宿っており…というよりも神そのもので…
彼は、その「神」を表現したかったのでは、ないでしょうか。

だからこそ、自分を研ぎ澄ます必要があった。
余計なものを自分から排除するために。
神を、余すところなく感じ取れるために。

私は以前、知床の川を歩いた時に、「神」を感じました。
神聖な空間。神聖な空気。
神々しく、心打たれ、体が震えるような素晴らしさ。
犬塚氏の絵を見た時、その感覚を思い出しました。

(なお、ここで言う「神」は、万物に宿る神というイメージです。)

8月30日まで、東京・奥多摩の、せせらぎの里美術館で展覧会が開かれているそうです。
10月頃には長野の東御市梅野記念絵画館・ふれあい館で展覧会。
東京には時期的に行けそうにないので、
10月の長野に見に行きたい!と、心から思っているところです。


↑作品の画像もありますよ。ぜひ一度ご覧ください!
本物は全然違うんでしょうねぇ…。

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