7月16日:今日のココロ
実は最近、妙~にしんどいのです。
体が重く、
ココロも重い。
常に「沈んで」いるような感じ。
「浮き上がる」ことができない。
こういうのを、「心が浮かない」っていうのかしら。と思っているところ。
気がつくとため息をついている。
辛いです。
でも、心配しないでくださいね。
「大丈夫」ですから。
なにをどうすればいいのか、わかってはいないけど、わかってるから。
↑このへんどう表現すればいいのかわからないけど、こうとしか言えない。
今は耐え時なんです。たぶん。きっと。
やり過ごせば、楽になれるんです。きっと。絶対。
薬に頼ることもできなくはないけど、一時的なもんだし、根本的な解決ではないし、「クスリ」が体(や精神)にどのような悪影響を及ぼすかはわかったもんじゃない。
耐えられる限り、薬に頼らずにいたいのです。
あ、でも↑は頓服薬の抗不安薬に限っての話です。
毎日飲むお薬(抗うつ薬)の方は、お医者様の指導通りに飲んでいますよ。←これはとても重要。勝手にどうこうしちゃ(減らしたりしちゃ)とんでもないことになりかねません。
こういうとき、「何か」していると気が紛れます。
こうして文章を書くことはかなりの気分転換になります。
それがこうした「独り言」めいたことだと、特に。
前にも書いたけど、
会話とかお返事とか、「相手に“ちゃんと”返さないと」と思ってしまうような文章は、苦痛なことが多いです。
自然と言葉が出てくれば苦痛じゃないですが。
何でしょうね、
返す言葉が見つからないこともあり。
それ以前に、相手の言葉を受け止めきれてない(もしくは全然受け止められない)こともあるんでしょうね。受け止めてもいないことに対して「返す」ことなんてできないですよね。
なんだか、自分がガラスケースの中におさまっちゃってるような感じがあります。
見えてるんだけど、「届かない」。
コトバというボールが自分に向かって投げられるのは見えるんだけど、手を伸ばしても、受け止めようとしても、壁(ガラス)に当たって落ちてしまう。
なぜかその「落ちる」感じが、「跳ね返って落ちる」のではなく、「滑り落ちる」という感じがしてなりません。なぜそう感じるのか自分でもわかりません。
目の前を、滑り落ちていく。ゆっくりと。水が流れるように。
手に入らない、でも手に入れたい、そんなものが、痕跡を残しながら流れていくのを、見ていることしかできない。触れることもできない。見えているのに!
もどかしく。
やりきれなく。
ひたすらに哀しく。
でも哀しみにとらわれてしまったら、坂を転がり落ちるように、悪化の一途をたどることでしょう。
だから、逃げます。
何でもいいから、何かに逃げます。
音楽は欠かせません、私の場合。何も聴きたくない状態になることもありますが。
読書、ネットサーフィン、テレビ、手芸など。できるだけ単純作業がいいです。決められたことをただこなすだけ、敷かれたレールの上を進むだけのようなことが。
本当は、一番効くのは「寝逃げ」です。
ひどい時は寝ずにはいられません。起きていると、意識があると、気が狂いそうになるんですね。
でも最近、寝逃げすることは滅多にありません。なんでかな。
「あまり(症状?が)ひどくない」ということなのでしょうね、きっと。
自覚としても、それほどひどい状態だとは思いません。もっとひどいことが過去に何度もあったし。
完全に「何も受け取れない」という状態でもないんです。ガラスの壁にいくつか穴が開いているみたいで、手元まで届くこともあるので。今は、ね。
ひどい時は本当に「何も」届かない、と、感じてしまうのです。本当かどうかは置いておいて、自覚としては、ですけど。それはかなり絶望的な感覚。そんな時こそ、寝逃げ。
こうした「ガラスの壁」が、ときどき私を閉じ込めます。
一度閉じ込められると、数週間は続くかな?
なかなか、消えてくれません。
でも、いつのまにか消えるみたいです。
いつ消えたか、どう消えたかは、いつもわかりません。
閉じ込められている間は、記憶力・注意力などが低下していて、自分の感情も、感覚も、起きたことも、いろいろなことが記憶に残らないようで。
この期間の辛さや、どのように治っていった(壁が消えていった)かは、後になって思い出すことが難しくて。
前回どうだったかというのを、覚えていないんです。
何度も繰り返しているというのに。
閉じ込められたときに、「ああ、また来た」と思いだす、という感じでしょうか。
…今、「辛い」真っ只中だから、「ずっと閉じ込められている」気がしているだけなのかもしれません。
壁がなくなっている時のことを、忘れているのかもしれません。
うん、きっと、最近はこの「壁」があったりなかったりを繰り返しているのでしょう。
でも辛いことのほうばかりを覚えているので、「ずっと」と思いこんでいるのでしょう。
…どう、この記事を締めくくっていいのかさっぱりわからず、さっきから途方に暮れています。
こんなことで立ち止まっていても仕方ないから、ばっさり諦めて、ここまでで終了させますね。
ではでは。
あ、そうそう。
こういう記事を、時々書いていきたいと思います。
「欝の感覚」というのは、なったことのない人には絶対にわからないものだと私はいつも思っています、信じています。
また、「欝の感覚」と言っても、人それぞれ、千差万別だとも思っています。
「私の場合、こうなの」という体験談を伝えることによって、「欝ってそんな“感じ”なんだ~」と誰かに思ってもらえたらいいな、と思っておりまして。
もちろんいつも凹んでる記事を書いていこうとは思っていません。
梅雨の間の晴れ間のように、台風の目のように、穏やかに晴れて明るい日だってあるんです。
↑穏やかになれる日がある、というのが、回復期以降の特徴なんでしょうが。まさしく欝~でどっぷりな時には、そんな日、そんな時間は全くない(だった気がする)。
えー、ともあれ、「今日のココロ」「今のココロ」を、素直に、ありのまま、表現していければ、と思っています。
揺れるココロ。
安定したココロ。
凹んだココロ。
妙にハイなココロ。←私は「躁鬱」(今では「双極性障害II型」と言われる)と診断されています。「軽い」と言われていてそれほど実害はないのですが、でも時々平常を通り越してハイ=躁モードになることもあります。
「欝」について書かれた本、「欝」を論じたテレビなどを見ていると、「そんなんじゃないのに」と思うことが多々あります。
そうではなく、ひとりひとりの体験談、生の声が、「欝の正しい理解」につながっていくのではないか、と思えてならないのです。
「誰かの解釈」というフィルターを通ってしまうと、大切なものが抜け落ちてしまい、実像から遠ざかる。
芥川の「藪の中」のようなものだと思うんです。
「同じこと」を語っているのに、全く違うストーリーに変性してしまう。
欝に限らず、身近な事柄全てや、歴史、などなどに共通したことだと思えてなりません。
特に、昨年の8月、広島で、原爆の日を迎え、原爆特集のテレビを見てそう強く思いました。当事者の声の強さを感じました。これを聞かずして原爆を語ることなかれ、と思いました。
…なんか熱くなってきてしまいました![]()
「この状態」のときに下手に何か「語る」と、後で「あんなこと言う(書く)んじゃなかった…」と落ち込む可能性大です(軽い躁モードになっている可能性あり)。頭の回転鈍ってる・認識が歪んでいる(偏っている)くせに、その場の勢いでこう熱くなってはいけません。
でも、今回は、自戒もこめて、このままUPすることにします。
ああ、疲れた
また「やり過ぎ」てしまった気がします…。
願わくば、今ここで書いたことが、「私」の本心から「ズレて」いませんように…。(←今は本心のつもりでも、平常心に戻った時にそうでなかったと気付くことすらあるのです。欝ってそういうもんなんです。不思議でしょ?)
ではでは、今度こそ、これにて!
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